翻訳:郭 沢雄
修正:宮澤 詩帆
指導:王 暁梅、楊 梅竹
監修:姚 武強
補筆・再構成:大橋 直人
梭嘎苗族生態博物館は、貴州省六盤水市六枝特区と織金県の境界に位置する梭嘎郷・隴嘎寨に所在する。標高は1,400〜2,200メートル、総面積は約120平方キロメートルに及ぶ。館区には十二の自然村落が含まれ、総人口はおよそ5,000人で、六枝特区政府所在地から約40キロメートル離れている。
本館は、中国の江沢民総書記とノルウェーのハーラル5世国王の署名によって実現した文化交流プロジェクトの一環として建設され、1998年10月31日に開館した。アジアで最初の民族生態博物館として知られるが、山岳地帯に位置するため水資源に乏しく、自然環境はきわめて厳しい。ここに暮らす長角ミャオ族の集落は山肌に沿って築かれ、土壁や藁葺きの家屋が並び、伝統的な景観が今も保たれている。住民は日の出とともに起き、日の入りとともに休む生活を営み、古来の民俗や風習をほぼ完全な形で継承してきた。そのため、深い民族文化が今日にまで息づいている。
特に女性たちは、糸を紡ぎ、布を織り、蝋染めや刺繍を施して、独自の美しい衣装を仕立てている。生態博物館が建設される以前、長角ミャオ族の人々はきわめて貧しく、昔ながらの自給的生活を続けていた。
梭嘎苗族・イ族・回族郷は、六枝特区の西北部、烏江水系三岔河中流域の北坂地帯に位置し、特区政府から約32キロメートル離れている。東は新華郷、南は岩脚鎮、西は新場郷と牛場郷、北は畢節地区織金県の鶏場郷および阿弓鎮と接し、六枝特区西北部の「玄関口」ともいえる地域である。
長角ミャオ族は、この梭嘎の高山地帯にある十二の寨(集落)に居住し、六枝における外向的かつ独特な民族集団として位置づけられている。ミャオ族は100以上の支系に分かれるが、その中でも長角ミャオ族は特に際立った言語、衣装、文化を保持している。とりわけ女性の衣装にはその歴史が色濃く刻まれており、頭飾りからも一層豊かな歴史的背景を読み取ることができる。
彼らは標高約2,000メートルの山岳奥地に集落を形成し、外部との交流をほとんど持たずに生活を営んできました。長角の髪飾りを象徴とし、独自の音楽や舞踊、刺繍や蝋染めなど、多彩な民族文化を後世へと継承しています。
生活様式は自給自足を基本とし、男性は農耕に従事し、女性は布を織るといった分業が伝統的に守られています。婚姻は主に同民族内で行われ、青年男女が伴侶を見つけるための祭礼「跳花節」が年に一度開催されます。長角ミャオ族は質素で素朴な暮らしを尊び、社会は古来より伝統的な民主的仕組みに基づいて成り立ってきました。また、冠婚葬祭に際して礼儀を厳格に重んじることも、長角ミャオ族文化の顕著な特徴の一つです。
「生態博物館」という概念は、1970年代にフランスで誕生しました。当初は失われた文化の記憶と復元を目的としていましたが、その後、文化遺産の真正性・完全性、さらには原初的形態の保護・保存を重視する方向へと発展し、1990年代に中国へと導入されました。
隴嘎村は中国における貧困地域の一つに属する。国家はこの地域の貧困脱却を目指し、さまざまな政策を打ち出してきた。基本的な貧困支援開発、住民移転を伴う貧困対策、教育に焦点を当てた貧困支援などに加え、政府は隴嘎に残る老朽家屋の改修や新たな村落建設の準備といったプロジェクトも支援している。また、生態博物館の設立と公開は、地域住民にとって収入を得る手段を提供し、蝋染めや刺繍などの伝統工芸品を販売する機会を広げる役割も果たしている。
梭嘎長角ミャオ族に関する研究調査は、すでに一定の成果を挙げている。藩年英は2000年、梭嘎生態博物館でフィールドワークを行い、伝統的な文化芸術の保存と保護の課題を検討した。張応化は2002年に長角ミャオ族の音楽を対象とし、その文化生態と美的意識の心理的特質を分析した。李洪濤は2007年に梭嘎ミャオ族文化を研究し、生態博物館の起源・背景・概念・役割、さらに生態博物館と箐苗の集落との関係性、環境や文化保護における意義を明らかにしようとした。
同じく2007年、呉昶は長角ミャオ族の建築文化とその変遷を研究している。2012年には安麗哲が、梭嘎ミャオ族の婚姻と恋愛習俗についてフィールドワークを実施し、自由恋愛と親が取り決める婚姻との間に生じるパラドックスの根源を探った。2014年には余暁光が長角ミャオ族文化の多角的な伝承を研究し、現代教育技術を通じて少数民族文化の継承をいかに支援できるかという課題に取り組んだ。さらに2018年、羅雨昕は隴嘎におけるミャオ族文化の変遷を研究し、箐苗文化変容の要因を多角的に分析している。