銅仁市

南方長城

2018-06-03

南方長城は、明清時代に建設された軍事的防御施設であり、現在の貴州省東部から湖南省西部にかけて延びています。この長城は、当時「生苗(せいびょう)」と呼ばれた、漢民族政権への服従を拒んだ苗族(ミャオ族)の集団に対する反乱鎮圧政策の一環として築かれました。「生苗」は、戸籍登録や租税負担を受け入れた「熟苗(じゅくびょう)」と区別される存在であり、中央王朝の支配に対してしばしば抵抗運動を展開しました。


政府はこれらの反抗を抑制するため、防御線としての城壁を構築し、要塞的機能とともに支配の境界線としての役割を担わせました。南方長城は「苗疆長城」とも呼ばれ、しばしば中国北部の万里の長城になぞらえられますが、その性格は異なり、地域的少数民族に対する軍事的統治の象徴といえます。


今日、南方長城は単なる軍事遺跡にとどまらず、漢民族と苗族との複雑な関係史を物語る重要な文化遺産であり、地域社会における民族史研究の貴重な手がかりとなっています。



補筆・再構成:大橋 直人