福泉古城垣は、貴州省貴陽市から約110km離れた山地に築かれた城郭である。城壁の全周は約4,700m、高さは約7m、幅は約3mに及ぶ。その起源は明洪武14年(1381年)にまで遡り、以来600年以上の歴史を有する。当初は土塁によって構築されていたが、永楽年間の1401年に石造へと改築され、以後、軍事的に極めて重要な拠点となった。
正統14年(1449年)の苗族蜂起に際しては、城は包囲を受け、兵士や住民、さらには家畜に至るまで食糧不足により大半が犠牲となったと伝えられる。その後、成化年間(1465–1487)にかけて張能が改修を主導し、城壁の整備とともに河川から城内へ導水する施設を設けることで、籠城時における給水を可能にした。さらに、万暦31年(1603年)には貴州総兵・安大朝が既存の城壁外に新たに183mの外郭を築き、河川を城内に取り込むことで、戦時においても安定した水資源の確保を実現した。
福泉古城垣は、内城・水城・外城の三重構造を成し、階段状の防御線を備えることによって堅固な軍事体系を築いていた。その構造は軍事史的観点に加え、建築学、地質学、水文学の視点からも注目に値し、「古代中国における究極の城壁」と称されている。
補筆・再構成:大橋 直人