貴陽市

貴陽方舟戯台

2020-05-24

翻訳:余 林

修正:須崎 孝子

監修:姚 武強

補筆・再構成:大橋 直人



201698日の夜、貴陽市の南明河畔に位置する「方舟戯台」では、華やかに灯りがともり、盛大な公演が幕を開けました。対岸には「外灘七キロ」と称される景観長廊が広がり、その夜景を背景に、舞台上では京劇の名優たちが巧緻かつ趣深い演技を披露しました。華美な雰囲気と古色を帯びた戯台の佇まいは、繁栄の世を象徴する絵巻を描き出し、都市景観に濃厚な文化的彩りを添えるものでした。


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 戯台は我が国の古い建筑の中の重要なタイプで、それらの歴史は悠久で、我が国の戯曲の発生、発展と輝かしい全過程を目撃する。大都市の風格を持つ「外灘七キロ」の中に立つ箱舟戯台は、中天・未来の方舟で造られます。箱舟戯台のひさしは角を上げて、梁画棟を雕刻して、建物全体が重々しくて、華麗で美しいです。構造上、方舟戯台はわが国の古い戯台を踏襲して作られ、ほぞを採用して、柱、梁、棟木などの主要な部材によって作られ、多面的に窓を開けます。装飾の上で、戯台は明清以来の彫刻装飾芸術を踏襲して、浮き彫りの法式のすずめの代わりと額装飾を行って、これは戯台の建築を実用的なだけではなくて、更に観賞性を備えます。


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戯台は、中国古建築の重要な類型の一つであり、悠久の歴史を有します。それはまた、中国における戯曲の発生、発展、そして輝かしい興隆の全過程を見守ってきた存在でもあります。


大都市的な風格を備えた「外灘七キロ」の一角に建つこの「方舟戯台」は、中天建設によって「未来の方舟」として設計されました。建築的特徴としては、反り上がる軒、精緻な梁間の彩画や彫刻が施され、全体として荘重かつ華麗な美を体現しています。


構造面では、中国古来の戯台建築の様式を踏襲し、木組みの「ほぞ」を用いて柱・梁・棟木といった主要部材を組み上げ、多方向に開放された窓を設けています。装飾面では、明清時代以来の伝統を引き継ぎ、浮き彫りの雀替(すずめがえし)や額枋(がくほう)装飾が施されています。これにより戯台は単なる実用性を超え、優れた観賞性と芸術性を兼ね備える建築となっています。


方舟戯台は単層構造の戯台であり、三方向から観覧できる形式を採用しています。運営面においては、戯曲文化と茶文化、さらには食文化を融合させることで、人文芸術的価値と経済的価値を結びつける大胆な試みがなされています。この都市型戯曲殿堂をより完成度の高いものとするため、建設過程においては特別に貴州京劇院院長の侯丹梅氏を招聘しました。侯氏は戯台の高さや幅、人物像の規格、楽屋の配置、さらには音響・照明に至るまで多方面にわたる提案を行い、方舟戯台に専門性と実用性を兼ね備えた水準をもたらしました。


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また、方舟戯台は文化部門や戯曲界との連携を通じて、多くの著名な芸術家を招聘し、思想性・厳粛性・芸術性を兼ね備えた優れた演目を次々と上演しています。これにより、貴陽市民は芸術家たちの卓越した演技を「ゼロ距離」で直に鑑賞することが可能となっています。さらに、方舟戯台は貴州京劇院と年間300回に及ぶ公演契約を締結し、地域における演劇文化の振興と普及に大きく寄与しています。


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貴州京劇院の沿革と人物


貴州京劇院の前身は1958年に創設された貴陽市京劇院にさかのぼります。1980年代後半以降には、『明月清風』『範仲淹』『龍岡悟道』『女帼紅玉』、さらには現代京劇『布依女』など数々の古典的・現代的演目を創作し、全国的な賞を獲得しました。2008年には省都所在の京劇団が合併し、「貴州京劇院」と改称。現在では「全国省級重点院団」に指定され、優れた作品群と高度な演技技術によって全国的な名声を博しています。


院長の侯丹梅は、中国を代表する京劇演出家・関粛霜の門下生であり、数々の栄誉に輝いています。第1回CCTV全国京劇優秀青年俳優大会「最優秀演技賞」、第10回中国演劇「梅花賞」、第13回上海演劇祭「白玉蘭主役賞」、第3回・第6回中国京劇芸術祭「優秀演技賞」、さらには第7回中国芸術祭「文華演技賞」(2013年、中国文化芸術政府賞)などを受賞し、現在も舞台の第一線で活躍しています。


侯院長のほか、副院長の馮冠博も著名な京劇俳優であり、また範玉・馬紅光らも全国青年京劇俳優コンクールにおいて特別賞を受賞するなど、同院は人材層の厚さにおいても中国演劇界を代表しています。


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院長・侯丹梅の略歴


侯丹梅は1964年に京劇俳優の家庭に生まれました。父の侯剣光、母の李雯敏はいずれも京劇俳優で、その影響を強く受けています。8歳で少年体育学校に入学し、厳格な身体訓練を受けたことで優れた身体表現の基礎を身につけました。13歳で中国戯曲学院に入学し、1983年に卒業。翌1984年からは関粛霜に師事し、師の懇切な指導と舞台での共演を通じて技芸を磨き、頭角を現しました。その後、1992年には中国戯曲学院「スタークラス」に、さらに2002年には同学院の「優秀青年俳優研究生クラス」に入学し、2005年に修了しています。


侯丹梅は端正な容貌と確かな武芸的素養、張りのある清澄な声質、繊細かつ情感豊かな演技表現によって高く評価されています。主な受賞歴として、1987年「全国青年京劇俳優テレビ大賞・最優秀俳優賞」、1992年「第10回中国演劇梅花賞」および「第4回中国演劇祭優秀助演賞」、2002年「上海白玉蘭演劇賞(主演賞)」、そして2013年「中国文化芸術政府賞 文華演技賞」などが挙げられます。


こうした経歴が示す通り、侯丹梅は中国京劇界を代表する俳優・演出家の一人として、現在も舞台と教育の両面で重要な役割を果たしています。


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侯丹梅院長は、これまで「貴陽に全国一流の京劇楼を持つこと」を最大の願いとしてきました。方舟戯台の建設は、彼女の長年の夢を具現化したものであり、同時に貴州における戯曲の未来に大きな自信を与える契機ともなりました。彼女は、この戯台が中国各地に存在する戯台の中でも際立って優れた存在となり、国内外の人々に広く知られることを望んでいます。すなわち、「精緻で美しい戯楼は北京にのみ存在するのではなく、清新な空気に包まれた貴陽においても、同等に高水準の京劇公演を鑑賞し、深い感銘を受けることができるのだ」ということを示そうとしているのです。


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方舟戯台は、貴州省の文化的伝統と地域的特色を体現する施設であり、観光客を惹きつけつつ、文化芸術の鑑賞空間としての機能を兼ね備えています。その運営方針は「戯劇を主とし、美食を補とする」というもので、提供される料理は固定メニューであり、自由に注文することはできません。観客には茶菓子や飲茶が供されますが、あくまで主役は舞台芸術そのものです。舞台上では、文芸的演目から武芸的演目、さらには歌唱や音楽まで、多彩な要素が次々と展開され、芸術家たちの熱意と技芸によって華やかな光を放っています。


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