甲秀楼(こうしゅうろう)は、貴陽市の中心部を流れる南明河に架かる「浮玉橋」の上にそびえる、同市を代表する楼閣である。明代万暦25年(1597年)、当時この地に派遣されていた巡撫(じゅんぶ/地方を統治する高官)・江東之によって建設された。その目的は、科挙(中国の官僚登用試験)を目指して勉学に励む秀才たちを激励することであったと伝えられる。
「甲秀」という名称には象徴的な意味が込められている。「甲」は科挙試験における最上位の称号(いわゆる「首席」)を表し、「秀」は才能に秀でた人物を意味する。すなわち「甲秀楼」とは、学問において優れた人材が輩出されることを願う名称である。
甲秀楼はその後、地震や戦火により幾度も倒壊・再建を繰り返しながらも、現在に至るまで貴陽の象徴として受け継がれてきた。楼の三層構造は軽やかで優美な姿を見せ、夜間にはライトアップされ、南明河に映る光景は「甲秀夜景」として観光名所となっている。学問と文化を象徴する存在であると同時に、都市景観の中核をなす歴史的建造物といえる。
補筆・再構成:大橋 直人