民族文化

長角ミャオ族の歴史

2021-02-18

翻訳:朱 明賢

修正:宮澤 詩帆

指導:王 暁梅、楊 梅竹

監修:姚 武強

補筆・再構成:大橋 直人




歴史的移動の概要


長角ミャオ族の祖先は、明代中期の1449年に発生した江西ミャオ族の反乱を契機に、江西省から貴州省貴陽市の鳳凰山へ移住したと伝えられる。その後、さらに貴州省安順市方面へと移動を続けた。


また、伝承によれば、ミャオ族の王は清軍の侵攻を受けた際、湖南省湘西地域から貴陽市へと避難したという。




清初期の戦乱と避難


清朝初頭、呉三桂は水西イ族の土司であった安坤に対し、反乱鎮圧を命じた。安氏はこの戦いに敗北し、多くのミャオ族が安氏の庇護を失った。結果として、多くのミャオ族は戦乱を避けて各地へと分散し、その一部は貴州・雲南・広西の境界地域にまで逃れた。


彼らが最終的に安住したのは、地形が険しく複雑で外部勢力の侵入を防ぎやすい梭嘎(Suōgā)森林地帯であった。この地域は山地と密林に覆われ、居住地を隠すのに適しており、そこで彼らは定住生活を続けることができた。