民族文化

ミャオ族の稲作文化

2021-02-18

翻訳:楊 順佳

修正:宮澤 詩帆

指導:王 暁梅、楊 梅竹

監修:姚 武強

補筆・再構成:大橋 直人



稲作文化の起源と発展


ミャオ族は、長江流域における稲作文化の創始的担い手の一つとされる。祖先は長期間にわたり、同流域で水稲栽培を生業の中心としてきた。厳しい自然条件のもと、彼らは環境と調和した耕作地を開発し、世代を超えて豊富な農業経験を蓄積した。その過程で形成されたのが、多様な伝統的生産習慣と、地域的特色に富む稲作文化である。


貴州省への移住後も、この文化的基盤は失われることなく保持され、豊作祈願や農耕に関わる儀礼など、多くの稲作関連の風習が今日まで継承されている。




春節後の「始耕式」


黄平県のミャオ族の間では、春節後最初の「牛の日」に始耕式(しこうしき)が行われる。前日に用意した、稲穂が大きく長い三本の「バモ」(祈願用の植物)を、香柱三本、紙銭七枚、鍬と共に畑へ持参する。


儀礼の手順として、「バモ」の茎を日の出の方向に向けて植え、風雨の恵みと作物の健やかな成長を祈る。この象徴的な行為によって、その年の農作業の安全と豊穣が約束されると考えられている。この日以降、人々は山の畑で自由に作業を始めることができる。




雷公山における立春儀礼と播種祭



立春の儀礼


貴州省黔東南ミャオ族・トン族自治州雷山県に位置する雷公山では、立春の早朝、各家庭の年長者が鋤(すき)、松明、そして草で作られた棒を手に、自らの水田へ赴く。この行事は農耕の開始を告げる神聖な儀式であり、次のような手順で行われる。


まず鋤で土を三度掘り返し、その後、松明と草の棒を土に挿して田の所有を示す。これにより、鼠・鳥・虫などの害獣害虫や、作物を脅かす病気が寄りつかないとされる。同時に、その年の好天と豊穣を祈願する。



播種祭(はしゅさい)


ミャオ族の村々では、立春後に降る三度目の雨を合図に播種の準備を始める。実際の播種は、春雷が三度鳴った後の日に行われる。これはミャオ族において最も吉兆とされる日取りであり、農暦と自然現象を組み合わせた暦法的知識の反映と考えられる。


播種の日には、必ず村で最も年長の家長が最初に田に種をまく。この行為は村全体の水稲を病虫害や人為的被害から守る象徴的呪術とされる。その後、各戸が順次播種を行い、作業を終えると草の棒を田に挿して若苗の順調な成長を祈る。





「開秧門」と「閉秧門」—ミャオ族の田植え儀礼



「開秧門」儀礼


ミャオ語で「qangd yib」と呼ばれる「開秧門」は、田植え開始前に行われる稲の豊作祈願祭である。毎年、苗が一尺ほどに育つと、各家庭は田を耕し田植えの準備に取りかかるが、その前に村の「耕作代表」—すなわち生産活動の象徴的担い手—が先導して田植え開始の儀礼を執り行う。


「開秧門」の当日、「耕作代表」は夜明け前に外出し、帰宅するまでの間は女性と出会うことを忌み、男性と出会っても会話を避ける。これは神事に不浄を持ち込まないための禁忌である。田植え作業が終わると、五倍子の木を家に持ち帰り、門前に置き、その木に「バモ」(祈願用植物)を巻き付けて「開秧門」開始を示す。その後、「耕作代表」は家族全員とともに魚・肉・酒などを神棚に供え、稲の豊作を祈る。先祖や神を祀る前には家の辻で焼香し、感謝の意を示す。


雷山県では「開秧門」は二十四節気の立夏から小満の間に行われる。この日、家長は自らの田から若苗を取り、事前に整えた田に7株または9株植える。苗束には先の尖った楓の枝と、1本または3本に結ばれたバモを差し込む。その後、家に戻り、魚や植物の汁で色付けした餅を先祖の位牌に供え、口上を唱えて好天と五穀豊穣を祈願する。「開秧門」を終えると、村全体で本格的な田植えが始まる。なお、この日も女性との遭遇は避けられるのが伝統である。



由来伝承


雷山県には「開秧門」の起源に関する伝説が残る。昔、ミャオ族の祖先は遠方から山を越えて現在の地に移住し、豊かな暮らしを夢見ていた。しかし実際には洞窟に住み、木の葉を身にまとい、果実や山菜で飢えをしのぐ生活を送っていた。困窮から抜け出すため、彼らは神に祈りを捧げた。ある日、天上の「秧公」と「秧婆」がその願いを聞き入れ、田を開き、稲を植える技術を授けた。それ以降、この恩恵を記念し、豊作を祈願するため、村全体で「開秧門」が行われるようになった。



「閉秧門」儀礼


旧暦6月6日は、ミャオ族全体で田植えを終える日とされ、「閉秧門」儀礼が行われる。早朝、各家庭は山へ赴き、五倍子の木とバモを採取し、さらに白い石を持ち帰る。これらは「閉秧門」の標幟(しるし)として神竿に仕立てられる。家長は神竿を田の中央に立て、「我がお前に手をかければ、苗は山のように繁る」と唱える。


儀礼後、家に戻って鶏や鴨を屠り、農具を供えて呪文を唱える。これは田植えを締めくくるとともに、農具そのものを祭る行事でもあり、本質的には稲の順調な生育を祈る農耕儀礼である。