翻訳:楊 順佳
修正:宮澤 詩帆
指導:王 暁梅、楊 梅竹
監修:姚 武強
補筆・再構成:大橋 直人
ミャオ族の伝説や古歌の中には、かつて独自の文字を有していたとする記述がしばしば見られる。しかし、現代においてその体系的な文字資料はほとんど残っていない。現存する唯一の例として知られるのは、湖南省城歩で発見された「ミャオ族文碑」であるが、これも断片的であり、完全な言語体系として復元できるものではない。
清代の地方誌『洞渓纂志』には、「ミャオ族の人は本を持つが、鼎文にもあらず、蝌蚪文(おたまじゃくし文字)にもあらず。作者が誰であるかは不明」と記されている。この記述から、かつて未知の文字体系が存在した可能性がうかがえる。
文字喪失に関する伝説
ミャオ族が文字を失った経緯については、地域ごとに異なる伝承が残っている。
1、貴州省の伝説
ミャオ族の祖先が西南方面へ移動する際、族の長老が「ミャオ族の本(文字資料)」を持ち出すのを忘れ、大嫁(族長の妻)に取りに戻るよう命じた。ところが、大嫁は本を取りに行く途中で赤子の泣き声を耳にし、思わず赤子を抱き上げて避難させ、そのまま本を忘れてしまった。このため、文字は失われたとされる。
2、湖南省湘西・呂洞山の伝説
西南への移動の途上、文化に通じた老人が遅れて殺され、さらに戦闘や包囲戦が繰り返された。特に洞庭湖付近での戦いでは、多くの資料が失われた。新天地に到着した後も戦乱や開墾に追われ、文字を学ぶ余裕がなく、そのまま伝承が途絶えたという。
現代のミャオ族文字
現代において「ミャオ族文字」と呼ばれるものの多くは、近代以降に創案・整備されたものであり、古代から連続的に使用されてきた文字ではない。たとえば、20世紀には宣教師や民族学者によってラテン文字を基盤とする表記法が編み出され、教育や聖書翻訳に利用された。また中国政府も、1950年代にローマ字表記のミャオ語正書法を制定しているが、これは古来の文字とは無関係である。
補足
⚫︎文字喪失の伝承は、文化喪失を語る民族記憶の一形態であり、他の少数民族(例:タイ系民族の古文字伝説)にも類似のモチーフが見られる。
⚫︎ミャオ族の場合、歴史的移住・戦乱・漢族との接触が複合的に作用し、口承文化が文字文化を凌駕する社会構造が形成されたと考えられる。
⚫︎「文碑」の解読は未だ完全ではなく、その言語的系統については諸説がある。ある研究者は漢字の変形とみなし、別の研究者は固有文字の可能性を指摘している。