翻訳:楊 順佳
修正:宮澤 詩帆
指導:王 暁梅、楊 梅竹
監修:姚 武強
補筆・再構成:大橋 直人
ミャオ族は、一般的に夏暦(旧暦)における十月を一年の始まり(年初)としている。これは、中国古代の「月建」——すなわち一年の十二か月と十二支(十二辰)を結びつけた暦法——に基づけば、「亥」の月を年初とすることに相当する。また、夏暦十月を年初としつつも、立春を一年の節気計算の起点としている点も特徴的である。
ミャオ族の紀年法(年の数え方)は、十二支のうち地支のみを用いる。彼らは一年を十二か月とみなし、ミャオ語には「季節」と「月」の両義をもつ**dongd(ドンド)**という語が存在する。この「dongd」という語の最も古い意味は、おそらく古代東夷系文化における十二辰の「辰(しん)」に対応し、もともとは季節を判断するための基準語であったと推測される。
ミャオ族の伝統的暦法には、一年を二季に分ける体系と、三季に分ける体系の両方が存在する。たとえば『多往申』の記録からは、一年を「温季(暖かい季節)」と「冷季(寒い季節)」に二分する方法が確認できる。しかし、これら二季の範囲(月数)については明確な規定がなく、必ずしも均等に六か月ずつ分けるわけではない。地域によっては、その年の気候状況によって柔軟に季節区分を決めるため、「温季」の期間が「冷季」よりも長くなることもしばしば見られる。
暦法の運用については、その最も基本的かつ本質的な機能は「時を刻む」ことである。すなわち、年・月・日を定めるとともに、日ごとの吉凶を占い、各種の祭日や「馬場日」(競馬や家畜売買を行う市日)などを決定する役割を果たしてきた。このように、暦はミャオ族の社会生活・祭祀・経済活動の基盤を成していたのである。