翻訳:楊 順佳
修正:宮澤 詩帆
指導:王 暁梅、楊 梅竹
監修:姚 武強
補筆・再構成:大橋 直人
紅毡苗(こうせんみゃお)族は、ミャオ族の諸支系のひとつであり、その名称は女性の上衣に付けられる「背牌(ベイパイ)」と呼ばれる布飾りの鮮やかな紅色に由来します。人口は主に貴陽市、龍里県、恵水県、貴定県などに分布しています。
衣装と装飾
紅毡苗の衣装は、上衣に鮮やかな色彩を用い、対照的にスカートは黒色を基調としています。髪飾りは黒く長い布を頭に巻き付け、前後に垂れることで帽子状となり、その頂部に色鮮やかな布花を挿して華やかさを添えます。衣装の特徴は、色彩の鮮烈さに比べて刺繍の量が比較的少なく、丈の中程度のスカートを主とする点にあります。
女性の背に掛けられる刺繍布「背牌」は、単なる装飾ではなく、祖先の栄誉を継承する象徴的意味を持ちます。伝承によれば、彼らの祖先は春秋戦国時代、楚国の掌印官であり、その功績を後世に伝えるため、子孫は背中に栄誉を刻むように布を飾ったとされています。この「背牌」は、祖先崇拝と民族的アイデンティティを可視化する装置といえます。
紅毡苗の人々は、毎年の闘牛祭、跳洞祭、「四月八日」の記念日などで盛装して参加します。
闘牛祭
数ある祭礼の中でも、とりわけ熱気に満ちているのが紅毡苗の闘牛祭です。毎年、旧暦7月から8月の農閑期に行われ、豊作の喜びを表すと同時に、地域社会の結束と友情を強める役割を果たしています。なかでも最も盛大に催されるのは恵水県批弓村での闘牛祭です。
祭りに先立ち、飼い主は力強い牛を選抜します。祭りの前日には親戚や友人を招き、自らの牛を応援する宴を開きます。当日、飼い主は牛を引いて「踩場(ツァイチャン、試合場への入場儀式)」を行い、合図の声とともに二頭の牛は角を突き合わせて激しく競います。観客は歓声をあげて熱狂し、勝利した牛とその飼い主は大きな名誉を得ます。特に「牛王(勝者の牛)」の称号を得た飼い主は、親戚や友人から多くの祝儀を受け、社会的にも高く評価されます。
跳洞祭
紅毡苗には「洞(どう)」にちなんだ祭礼も存在します。毎年旧暦正月四日から九日まで行われる「跳洞祭」は、特に大規模かつ賑やかな行事です。村人たちは洞窟内に集まり、歌舞や舞踏を披露します。洞窟で祭礼を行う習俗は、祖先の生活様式を追憶するためだと伝えられています。岩の洞窟は、かつて避難所・居住空間・逢瀬の場として重要な役割を果たしたほか、死者の埋葬地としても機能しました。したがって跳洞祭は、生活と死生観が結び付いた独特の民俗行事といえます。
洞葬の習俗
紅毡苗の葬制はきわめて特異であり、なかでも「洞葬」が最も代表的です。これは死者を棺に納め、巨大な自然洞窟へと安置する葬法です。棺は家系や身分の序列に従い、南を向けて断崖の洞口に置かれます。村落の死者は代々同じ洞窟に葬られ、祖霊が集う場として神聖視されてきました。
数多くの洞葬遺跡のなかでも、果里村のものは保存状態が最も完全で、壮麗かつ神秘的な景観を呈しています。
伝承によれば、紅毡苗の祖先は本来黄河流域に居住していましたが、戦乱により南方の山岳地帯へと移住を余儀なくされました。偉大な首領が亡くなると、子孫はその棺を洞窟に安置し、祭祀を行いながら故郷への帰還を祈願しました。この行為が慣習化し、時代を経るにつれて洞葬の伝統が形成されたといわれています。
🔎 学術的補足
⚫︎衣装文化:紅毡苗の衣装は、色彩の鮮やかさと刺繍の少なさという対照性が特徴で、ミャオ族内の多様な衣装文化を比較する上で重要な研究対象です。
⚫︎闘牛祭:社会人類学的に「競技祭祀」として位置づけられ、力と勇気を競うと同時に、共同体内の名誉体系を再確認する儀礼的側面があります。
⚫︎洞葬:自然洞窟を利用する葬法は、中国南部少数民族の死生観を示す特異な事例であり、考古学的にも「自然地形と葬制の結合」の典型例として注目されています。